再びガザ侵攻

再びガザ侵攻

2006年6月27日には、アッバース議長とハマースのハニーヤ首相が1967年の国連停戦決議に基づく国境線の合意(事実上のイスラエル承認)で合意した。しかし、イスラエルはパレスチナ人に対する予防拘禁の強化を図る一方、兵士の拉致を理由に逆にガザ侵攻を拡大。ヨルダン川西岸地区では閣僚を含む立法評議員(国会議員に相当)、地方首長を約80人を拉致し、評議会を機能停止に追い込んだ。カタールは国連安保理にイスラエルのガザ撤退および閣僚等の解放を求める決議案を提出した。しかし、7月13日、米国の拒否権で否決されている。また、同月12日から13日にかけて、日本の小泉純一郎首相はイスラエル、パレスチナを訪問し、イスラエルのオルメルト首相、パレスチナのアッバース議長と会談。しかしハニーヤ首相と会おうとはしなかった。小泉首相はヨルダンを含めた4ヶ国協議を提案し、それぞれの賛同を得た。しかし、イスラエルにガザ侵攻への自制を求めた件については「イスラエルの立場は明確だ」と退けられている。また、ハマース政権成立後では初めて、パレスチナに対する約3000万ドルの人道支援を発表した。ただし、直接援助はイスラエルの反発に配慮し行わず、世界食糧計画などを介した形となる。

その後もイスラエルとパレスチナの断続的な衝突が続いた。11月1日、イスラエルは再びガザ地区に侵攻。7日までにパレスチナは軍民合わせて50人以上、イスラエルは兵士1人が死亡した。イスラエルは撤退を表明したが、翌8日すぐに攻撃を再開、ガザ地区北部のベイトハヌーンでパレスチナ市民が少なくとも19人死亡し、アッバース議長は「イスラエルは平和への機会を破壊している」と非難。ハマースは報復を宣言した。イスラエルは誤爆と主張。事件の解明まで攻撃を中止すると発表したが、パレスチナ活動家の暗殺は続けている。ベイトハヌーンの事件について、再びカタールは国連安保理に非難決議案を提出した。フランスなどの要求で、パレスチナ側のロケット攻撃も非難する修正案に改められたが、11月11日、やはり米国の拒否権で否決された(日本は棄権)。 パトリック・オコナーによると、2000年から2006年11月3日までの、パレスチナ側とイスラエル側の犠牲者数の比率は39:10である。しかし、2006年は258:10で、3月のハマースの政権参加後に限ると、762:10にまで差が広がったという([7])。すなわち、ハマースは政権参加後おおむね停戦を守っているが、イスラエルは一方的にパレスチナ人の殺害を続けているという指摘である。 一方イスラエル諜報機関の元長官アヴィ・ディクターは、分離壁の建設によって自爆テロを90%阻止することが出来たと証言している。[8]実際、自爆テロは未遂の時点で逮捕されているケースが多く[9]、ハマース側が自粛しているのではなく、物理的に自爆テロが出来ない状況になっているという主張である。なお、このような状況下でハマースはロケット砲による無差別攻撃に攻撃を転換したとの指摘もある。 また、『毎日新聞』2006年12月31日号でイスラエルの人権団体「ベツェレム」のまとめを報じたところによると、2006年中の12月27日までの集計で、イスラエル軍に殺害されたパレスチナ人は660人(未成年141人)、パレスチナ側に殺害されたイスラエル人は23人であった。パレスチナ側の犠牲者は前年の3倍以上で、逆にイスラエル側の犠牲者は、2000年以降では最少であった。パレスチナ側犠牲者のうち、少なくとも322人はイスラエルへの敵対行為に参加しておらず、イスラエル側犠牲者のうち17人は一般市民であったという。同様に、パレスチナの「パレスチナネットワーク」によると、イスラエル軍に殺害されたパレスチナ人は742人(子供144人、暗殺死210人。数字はのべ)。負傷者は3735人、連行者は5671人(子供約300人)であったという(「Year end statistics: Israeli forces killed 742 Palestinians, injured 3,735 and arrested 5,671」、英語。イスラエル側犠牲者の調査はない)。パレスチナのバルグーティ情報相は、世界銀行の調査を元に、イスラエルによる(パレスチナに対する)アパルトヘイトが行われていると主張した。